大正10年、父である喜次郎の死後、長男の徳太郎が2代目善作を継ぎました。徳太郎は、明治22年(1889)生まれということですので、32歳のときでした。
2代目善作は、大工道具鍛冶として優れた才能を発揮し、釘抜き、鑿、鉋、作里、釿など、幅広く多くの大工道具を鍛ち、とくに木目玄能を考案して、当時穴掘り専門の穴屋大工にそれが良く売れたそうです。2代目善作は、徳弘の銘を作品に打つこともあったそうです。
当時、東京で鉋を鍛っていた、のちの3代目千代鶴延国である落合宇一も、大不況のため、鉋鍛冶から鍛冶技術を生かして海軍工廠に職替えをしていました。しかし、延国は、のちに鉋鍛冶に復帰しましたが、2代目善作は復帰せずに昭和19年(1944)に亡くなったそうです。享年55歳でした。
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