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(二) 二代目 善作



大正10年、父である喜次郎の死後、長男の徳太郎が2代目善作を継ぎました。徳太郎は、明治22年(1889)生まれということですので、32歳のときでした。


2代目善作は、大工道具鍛冶として優れた才能を発揮し、釘抜き、鑿、鉋、作里、釿など、幅広く多くの大工道具を鍛ち、とくに木目玄能を考案して、当時穴掘り専門の穴屋大工にそれが良く売れたそうです。2代目善作は、徳弘の銘を作品に打つこともあったそうです。


 この2代目善作は、襲名後、10年程しか大工道具鍛冶をせず、大阪鉄工という会社に自分の鍛冶技術を生かして移って行ったそうです。41歳の頃です。2代目善作が職を変えた昭和5年(1930)前後は、世界恐慌の煽りを受けて日本は大不況で、大工道具は売れずに大変な時期でした。父である2代目善作の鍛った作品の仕上仕事をしていた長男の善治も、一緒に大工道具鍛冶をやめたそうです。

当時、東京で鉋を鍛っていた、のちの3代目千代鶴延国である落合宇一も、大不況のため、鉋鍛冶から鍛冶技術を生かして海軍工廠に職替えをしていました。しかし、延国は、のちに鉋鍛冶に復帰しましたが、2代目善作は復帰せずに昭和19年(1944)に亡くなったそうです。享年55歳でした。





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