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(一) 初代 善作



 初代善作は、本名を松原喜次郎といい、兵庫県三木市生まれで、若い頃から大阪に出て、西区江戸堀、その後港区岡本町3丁目に住み、刃物道具鍛冶をしていたといいます。初代善作の作った作品は、ほとんど残っておらず、大正10年(1921)に72歳で亡くなったそうです。

 亡くなった年齢から逆算すると、12代将軍徳川家慶時代の中頃の嘉永2年(1849)に三木に生まれたことになります。明治維新になる20年ぐらい前ということになります。 

松原家は、かつて刀鍛冶であったそうです。刀鍛冶は、遠い昔より一部の人たち以外は鍛刀だけでは暮らしていけず、刃物道具も造っていたといいますから、松原家もそうであったのでしょう。初代善作が鍛刀していたかどうかは解りませんが、明治9年(1876)の廃刀令のとき、初代善作は27歳でした。


初代善作には、二人の子供がいました。長男が徳太郎(明治22年生まれ)、2歳違いの次男が重次郎(明治24年生まれ)で、幼い頃から父の鍛冶仕事を手伝い、厳しい父のもとで刃物道具鍛冶の修業をしたそうです。この父の厳しさが、のちに名工とか、天才鍛冶とか呼ばれる二人の基礎を作ったのでしょう。





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