これらの鑿は、鉄部を木柄に差し込んで使用されていた茎(なかご)式と言われる鑿です。茎(なかご)はコミとも言っています。この形態の鑿は、槌で叩いて使用するのは無理で、手で押して削る鑿です。これらは、形態から建築用の鑿ではなく、木工細工用の鑿ないし彫刻刀の部類に属すると言っていいでしょう。
鋼は、弥生時代の中期前半にすでに作られていた痕跡があります。当時は、鍛冶職が自ら鉄鉱石や砂鉄を採集して、山の斜面などに掘った窪みを利用して木を燃やし、風を送り、低温還元による製鉄を行い、これを脱炭・浸炭・鍛錬して刃物や鉄器などを造っていました。
したがって、鋼の品質は当時の製鋼技術水準から察すると、まだかなり劣っていたと思われます。5世紀後半には、いままで各地で小規模に行われていた製鉄が本格化します。しかし、古代から中世にかけては、粘土などで作ったタタラと呼ぶ製鉄炉と風を送るフイゴ、そして燃料に木炭を使う露天式の野ダタラ法で製鉄していたので、まだ生産量の少ない小規模なもので、鉄は大変貴重なものでした。鉄を鍛錬して造られた鋼に至っては、さらに貴重なものでした。
Copyright (C) 2006 Suzuki Kanamono. All Rights Reserved