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《日本における仏像彫刻と鑿について 1》



彫刻鑿1



はじめに




仏像がインドから中国に伝わり、朝鮮半島を経て日本に入って来たのは、6世紀半ばの飛鳥時代で、6世紀末には日本でも仏像が造られるようになります。当初の仏像造りは、木彫像も製作されましたが、金銅像が中心で、奈良時代になると塑像・乾漆像が多く製作されるようになります。仏像の木彫が本格的に発展するのは、平安時代に入ってからです。


平安時代の初期では一木造りであった木彫像が、平安時代後期には寄木造り技法に変化します。鎌倉時代にはこの技法がさらに発展して、運慶・快慶らの仏師によって見事な木彫仏像が製作されるようになります。しかし、室町時代以降の仏像製作は、単に仏像の形を伝えるだけになり、新しい潮流は起らず、衰退して行きます。


中国・韓国では木彫の仏像は希少ですが、日本では文化財となっている仏像の約90%が木彫です。日本が、四季のある湿潤な気候によって豊かな自然に恵まれ、木彫に適した良質の樹木が茂っていたお蔭もありますが、木彫仏像造りの変遷には、日本における鑿の発達が密接に関わっているように思います。この場合の鑿は、建築用の鑿や木工細工用の鑿、仏像の荒彫りをする鑿や精密な仕上げ加工をする鑿と彫刻刀を総称しています。以下、本稿でいう鑿は、これらすべてを含めた意味で使います。


優れた仏像を彫るには、良く切れる鑿とそれを鍛つ鍛治職がいなければなりません。しかし、当時の仏師たちが使った各種の鑿は残されていません。これらの鑿を鍛った鍛治職の記録も残されていません。木彫仏像製作と鑿の発達との関連についての研究も、ほとんど行われていません、現在まで残されているのは、当時の木彫をした仏師の名前と彼らが彫った見事な仏像だけです。


そこで、私が調べた日本における木彫仏像製作の変遷と鑿の発達との関連を、「日本における仏像彫刻と鑿について」と題して書き上げました。今回は、ページ数が多いので、「日本における仏像彫刻と鑿について(1)―飛鳥時代から白鳳時代を中心にして」と「日本における仏像彫刻と鑿について(2)―奈良時代から平安時代を中心にして―」と二部に分けて、当店のホームページの「道具の歴史」欄に掲載し、発表します。まず第1部から掲載します。「以下、敬称は略させて戴きます。



日本における仏像彫刻と鑿について 目次





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(一) 古墳時代の鑿について (二) 飛鳥時代について T 飛鳥時代の仏像 U 飛鳥時代の鑿 (三) 白鳳時代について T 白鳳時代の仏像と鑿 (一) 古墳時代の鑿について