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《大工道具鍛冶に関する史料「怪物傳」》



東京名工鑑 表紙


はじめに



 かつて東京にも、江戸時代から昭和の後半頃まで鋸鍛冶がいました。その名前を上げれば、徳川家康によって江戸が開かれた天正の頃から16代にも渡って続いた京橋北槇町の名工中屋久作家、とくに名工と名が高かった12代中屋久作の弟子であった神田の天狗源左衛門や四ツ谷の中屋伊兵衛、8代将軍となった徳川吉宗と共に紀州から江戸に来たと伝えられ、昭和の後半頃まで続いた調布の二見屋甚八系の鋸鍛冶たち(※1参照)、江戸時代の文化年間に諏訪に行って鋸製造を伝えて信州鋸の始祖となった江戸鋸鍛冶の藤井甚九郎、油焼き入れ法の会津鋸鍛冶中屋助左衛門の弟子と伝えられた江戸幕末期の名工、浅草阿倍川町の中屋平治郎などです。

※1 二見屋甚八系の鋸鍛冶たちについては、平澤一雄著「産業文化史/鋸」1980年出版に詳しく調査された結果が記載されています。

 いまわたしの手元に、国立国会図書館にパソコンでアクセスし、プリントアウトした「東京名工鑑(とうきょうめいこうかがみ)」があります。明治12年に東京府勧業課が編集発行したもので、明治10年に東京上野で開催された第1回内国勧業博覧会で優秀技能者として賞を受けた職人たちや明治初期に東京に在住した各分野の名工たちを記録しています。

 この「東京名工鑑」の鍛冶欄に、鉄砲鍛冶工・機械鍛冶工・鑢鍛冶工と共に鋸鍛冶として二人の名前が記載されています。しかし残念なことには、当時の鉋鍛冶・鑿鍛冶の名工として知られた田圃義廣・國弘・久弘などは記載されていません。明治12年は、後に大工道具鍛冶の頂点に立つ千代鶴是秀はまだ5歳で、8代目刀匠石堂壽永が廃刀令によって刀から鎌や鍬へ、そして鉋や鑿を鍛ち始めた頃でした。

 ともあれ、この「東京名工鑑」は明治初期の東京鋸鍛冶の様子を伝え、前回紹介した「怪物傳」よりさらに28年も古い記録で、東京鋸鍛冶についての第一級の歴史的な史料です。その内容についてはまだ一般によく知られていませんので、ここに記載されている二人について詳しく紹介しましょう。


東京鋸鍛冶の史料「東京名工鑑」 目次




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(一) 鋸鍛冶 高垣市五郎 (二) 鋸鍛冶 森宮久作 むすびに むすびに