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むすびに



 私は、いままで、鉋や鑿など大工道具の刃研ぎに使われた砥石について調べてみようとの強い思いはありましたが、いざ調べ始めると、砥石の奥の深さを知り、なかなか手が付けられませんでした。

 私は、拙著「日本の大工道具職人」と「続・日本の大工道具職人」の2冊を上梓し、これで長年の調査・研究の目的が達成できたと思っていましたが、その後も大工道具に関する幾つかの論考を発表するうちに、私の何十年にも渡る大工道具についての調査・研究を集大成する「大工道具文化論」の構想が思い浮かび、それをぜひ書き上げて出版したという気持ちが起こりました。

それには、残された砥石と大工道具の関連について書き上げなければならないと思い、「天然砥石の歴史と大工道具について」と題して、刀剣や大工道具、その他の刃物の研ぎに使われた天然砥石の産出地を歴史的に考察してみました。


 砥石の発掘の歴史を記述してみると、次々に意外なことが解りました。
@ 平安時代から京都産の仕上砥石は採石されていたようだが、京都産の上質な合砥は、鎌倉時代の初めに採掘さてたこと
A 当初、それは天皇家や時の幕府に献上されて一般には出回らなかったこと
B それまでは、大工職は他の産地の砥石を仕上げ研ぎに使っていたこと
C 京都の合砥は、室町時代の後期に形の悪いものや傷や亀裂のあるものが、難ものとして一般に出回り始め、それが鉋や鑿の切れ味を向上させたこと
D 江戸時代中頃に、大工職が使っていた中砥と仕上砥の名が解ったこと
E 大工道具の隆盛と砥石の需要拡大が一致していること
などです。

 昔、「研ぎ半日、削り半日」といわれ、鉋や鑿の研ぎには大変でした。このことは、荒研ぎ、中研ぎに使っていた天然砥石では、研磨力が良くなかったことを現しています。そのために、鉋や鑿の地金である身は薄く鍛造され、鉋の刃幅は主に1寸4分、鋼も薄く鍛接されました。したがって、裏スキも浅くなりました。

 今日では、研磨力のある人造の金剛砥石やキング砥石がありますので、鉋や鑿の身の鍛造や鋼の鍛接は厚くなり、裏スキも深くなっています。鉋の刃幅も、大工職では1寸8分が主力になっています。

このように、砥石の観点から大工道具の発達を見てみると、意外な事実を知ることができます。




   平成26年1月吉日
   有限会社 スズキ金物店
     代表取締役 鈴木 俊昭


(参考)
一、田中清人氏ギター工房ホ−ムページ・ブログ 「天然砥石について」・「梅ケ畑村誌」
一、藤寅工業(株)ホームページ・ブログ 「天然砥石の魅力」・「砥石入門」
一、Yahooの天然砥石のブログ 「砥石の今昔」
一、さざれ銘砥(株)ホームページ・ブログ 「京都産天然砥石産地地図」
一、明鏡止水ブログ 「天然砥石とは」
一、フリー百科事典ウィキペディア「砥石」など
一、佐藤興平論文「砥沢の砥石:地質と歴史」群馬県立自然博物館研究報告2005年
一、天然砥石採掘販売業者の砥取屋、木村研磨砥石工業所、石原砥石工業所、日本金剛砥石工   業所などのホームページ・ブログ
一、木のメモ帳ブログ 「絶滅の道を歩む天然砥石たち」
一、京都稲荷山 刃物フルタホームページ・ブログ「天然砥石の歴史について」
一、香川量平「大工道具に生きる その34 砥石の話」
一、レファレンス協同データベース「京都の名産である鳴滝砥石と本阿弥家との関わり」
一、東京木材問屋協同組合ホ−ムページ・ブログ「日本刀 其の27入門外伝・研ぎの3」
一、岩崎重羲論文「刃物」日本金属学会誌「まていあ」1995年4月号
一、はさみ屋のブログ「続 砥石について」
一、Yahoo知恵袋 縄文、平安、鎌倉、戦国、江戸、明治の各時代の日本の人口





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