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(三) 京都の砥石



 この節では、「合砥」とよばれて、とくに優れた仕上砥である京都産の砥石について語ってみましょう。「合砥」の語源の由来は、合せるだけで良い刃が付くということからのようです。

 かつて、京都市から亀山市まで続く仕上砥石の地層には数多くの砥石山があり、盛んに採掘が行われていました。最盛期の昭和の頃、採掘工は大工職の4倍の手間賃をもらっていたとのことですが、塵肺と落盤事故のため、30代で亡くなる人が多かったようで、採掘は大変な仕事だったことが窺えます。

先に砥石の歴史を述べて来たところで、1,000年ぐらい前の平安時代からこの地で採掘されていたようですが、鎌倉時代の初めに梅ケ畑の本間藤左衛門が採掘した上質の仕上砥石を天皇家に献上したことから、歴史上に京都産の仕上砥石の名が現れるようになります。


 この仕上砥石は、2億5千万年以上とされる地殻変動で生まれたもので、世界に例のない最上質の仕上砥石です。初めは刀剣の仕上げ研ぎに、その後は剃刀・鑿・鉋などの刃物道具の仕上げ研ぎに使われて来ました。この砥石層は兵庫県から京都西北の丹波地方、そして京都市北部を通り滋賀県西部(高島市)にかけて連なっていて、それぞれのところで採掘されました。時代の変化と共に、昭和40年から昭和60年にかけて廃抗・休抗が相次ぎ、現在では僅かの人が採掘しているのみです。

 砥石層は、一番上にある層が「天上(天井)巣板」で、刀剣用の内曇砥が出ます。。この下が「八枚(八枚の石の層)」・「千枚(薄い層が多数重なり、硬質の層)」・「戸前(この層にあたると蔵が建つと言うので、戸前つまり蔵の前と呼ぶ)」となります。戸前層は、さらに天上戸前・本戸前・戸前・敷戸前に区分されます。「八枚・千枚・戸前」層の中からは、緑・黄・灰・うす青と言った、一般に言う「本山砥」が採れます。 

 戸前層の下は「合さ(あいさ)」という層で、硬質で研磨力のある「カラス砥」が採れます。「合さ」の下に「並砥」(比較的厚めの層で、安定した成分の層)・「大上」(並砥として扱われる場合もある)、そして「敷巣板(ガスが抜けた小さい穴があるから巣板という)」層になります。現在でも採掘している丹波亀山の丸尾山の例では、砥石層は約15mの厚さです。

 なお、主催:京都天然砥石組合、後援:京都砥石販売同業組合で、10月14日を「砥石の日」と定めて、京都では毎年砥石の展示会・講演会などのイベントを行い、多くの人が砥石に感心を持ってもらうように努力しています。




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