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(三) 「墨壷」の語源について



 しかし、やがて「壷」の文字を使った墨壷職も現れました。最初に誰が、いつ頃に、使ったのかはわかりませんが、東京の「壷豊」は初代から「壷」の文字を使っていたようです。インターネットで調べますと、現在「壷」の文字を使った最も古い例として、昭和5年に初代が製作した2尺4寸の大墨壷の裏に「壷豊」と彫られているものがあります。おそらく、初代「壷豊」は修業先の「坪仙」から独立した大正時代から「壷豊」と彫っていたのではないかと思われます。
「壷豊」 墨壷1
 新潟では、「坪」の文字を使う墨壷職の中で、昭和20年の創業時から唯一「壷」の文字を使う墨壷職として「壷静」がいます。大阪の墨壷職の名工と言われた廣田米吉も、昭和27、8年頃に製作した墨壷の裏に「壷米」と彫っていますので、昭和の始め頃から「壷」の文字を使っていたと思われます。
「壷豊」 墨壷2
 ほとんどの墨壷職が「坪」の文字を使っていた中で、「壷豊」と「壷米」は、どのような理由から「壷」の文字を使ったのか、すでに廃業しているので、わかりません。現在も墨壷製作している新潟の「壷静」にお聞きすると、「壷には、花器に代表されるように優雅・高尚のイメージを持っています。銘は製品を保証するものであり、製品と一体でもあるので、格調も大切です。それ故に、銘を“坪静”でなく“壷静”としました」と述べられています。

 そして現在では「スミツボ」と言うと「墨坪」の文字を使う例は少なくなり、「墨壷」の文字が一般化しています。



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