
        


はじめに
私が、父の経営していた(有)スズキ金物店に入った昭和41年頃は、木工用電動工具が広く普及していたとは言え、東京にはまだまだたくさんの鋸目立て屋さんが存在し、その人達で設立された「東京鋸商工業組合」がありました。当時、鋸目立て技術を持っていれば、一生食べて行けると言われていた時代でした。 |
しかしその後、日本の社会経済の進展によって、鋸の価格と目立て代の高騰、プレカットや建築工法の変化、安価な替え刃式鋸の登場などで、従来の鋸は次第に使われなくなり、さらに目立て屋さんの高齢化と後継者難も加わり、やがて東京ばかりでなく、全国的に目立て屋さんの数は激減して行きました。かなり以前から有名無実化していた「東京鋸商工業組合」も、遂に平成20年頃に解散してしまいました。 |
私は、以前からこの目立て屋さん、所謂「目立て専門職」はいつの頃に誕生したのだろうか、と関心を持っていました。 |
前回「新撰百工図」の中に掲載された「鋸の目立」の図を発見したことによって、従来の定説を覆す「新発見/両刃鋸の出現時期について」を発表でき、これを機会に、今度はいままで研究家がほとんど論じていない「鋸目立て専門職」の出現時期についても調べてみようと思い立ち、インターネットで検索した結果、思わぬ貴重な絵画新資料の発見や関連資料を収集できましたので、それに基づいて「鋸目立て専門職の誕生について」と題して発表してみましょう。 |
尚、本稿は東京国立博物館文化遺産オンライン、槌田満文「江戸東京職業図典」(2003年)、吉川金次「鋸」(1976年)などを参考にさせて戴きました。 |

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