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(三) 白鳳時代について



T 白鳳時代の仏像と鑿

白鳳時代(7世紀後半〜8世紀初頭 天武・持統天皇の時代から平城京遷都)になると、法隆寺阿弥陀三尊像・興福寺仏頭・薬師寺東院堂聖観音像・薬師寺金堂薬師三尊像・法隆寺夢違観音立像などの金銅像が造られました。また、塑像である法隆寺五重塔塔本塑像が造られ、次の天平時代の仏像製作に繋がって行きます。


飛鳥・白鳳時代は、木彫の仏像も造られましたが、鋳造による金銅像の仏像が主に造られた時代でした。このことの一つの理由として、鑿の製作がまだ未熟であったという鑿の発達段階に関係しているのかも知れません。したがって、この時代の鑿には、形態の上で目立った大きな変化はありませんでした。


当時、大工職が集まる大阪四天王寺(593年建立)の門前には、鑿などの大工道具を鍛つ刃物道具鍛冶や、都には朝廷お抱えの刀鍛冶などがいたことから、木像の仏像を彫る仏師たちは、彼らに鑿を鍛ってもらっていたと思われます。しかし、これらのことも記録として残されていませんし、仏師の使った鑿も残されていません。

(第1部はここで終了と致します。第2部は後日また「道具の歴史」欄に掲載いたします。)



   平成25年5月吉日
   有限会社 スズキ金物店
     代表取締役 鈴木 俊昭




(参考文献)
真鍋俊照編「日本仏像事典」2004年          
吉川金次著「ものと人間の文化史/斧・鑿・鉋」1984年
鈴木俊昭著「日本の大工道具職人」2011年
鈴木俊昭著「続・日本の大工道具職人」2012年
鈴木俊昭稿「日本における鑿・鉋の裏スキについて」2013年
長澤市郎論文「日本の木彫仏像―その製作技法と修理技法―」
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