白鳳時代(7世紀後半〜8世紀初頭 天武・持統天皇の時代から平城京遷都)になると、法隆寺阿弥陀三尊像・興福寺仏頭・薬師寺東院堂聖観音像・薬師寺金堂薬師三尊像・法隆寺夢違観音立像などの金銅像が造られました。また、塑像である法隆寺五重塔塔本塑像が造られ、次の天平時代の仏像製作に繋がって行きます。
飛鳥・白鳳時代は、木彫の仏像も造られましたが、鋳造による金銅像の仏像が主に造られた時代でした。このことの一つの理由として、鑿の製作がまだ未熟であったという鑿の発達段階に関係しているのかも知れません。したがって、この時代の鑿には、形態の上で目立った大きな変化はありませんでした。
(第1部はここで終了と致します。第2部は後日また「道具の歴史」欄に掲載いたします。)
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