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(一) 近世における株仲間制度について




 近世、つまり江戸時代における商工業者の商取引において、株仲間制度の存在を知らなければ、当時の商取引の様子をよく理解することはできないでしょう。それを知るには、まず鎌倉時代から室町時代にわたって、商工業者が市場の独占と利益の増大を確保するために結成されていた「座」について語らなければなりません。

「座」とは一種の同業者組合ともいうべきもので、この「座」の仲間でない限り、自由に商取引ができず、かれらが生産や流通を牛耳っていました。この独占を維持するために、当時大きな力を持ち、「座」を保護する後ろ盾になっていた公家や寺社に見返りとして、得た利益の一部を冥加金として上納していました。


 織田信長や豊臣秀吉らの戦国大名は、領内の商工業を活性化して財政を豊かにする目的のため、この「座」の特権をなくし、新しい商工業者の参入や市での商取引を自由にさせる楽市楽座政策を実施しました。しかし、この政策は完全な自由化を意味するものではなく、領内を支配する大名の思惑でそのまま残された「座」も多数ありました。この楽市楽座政策は、公家や寺社から領内の商取引を大名の統制下に置くという意味も含まれていました。


 この政策は、江戸時代になっても引き続き実施されましたが、この期間「座」がなくなった商人たちは過当競争や共倒れを避け、利潤を確保するために「仲間」という非公認の同業者組合を密かに作っていました。

 8代将軍徳川吉宗時代になると享保の改革(1716)が行われ、米の価格やその他の物価の高騰を防ぎ、ゥ物価の引下げなどのために商工業者の仲間組織の結成を公認し、営業の独占を許す代わりに、独占営業税ともいうべき冥加金を上納させました。合法化された株仲間の誕生です。

この株とは、独占して生産・製造したり、商取引する権利です。株仲間の人数は限定され、新規に加入するのは困難で、仲間株を売買や譲渡で得た者は、一定の手続きをした後に加入が許されました。


 さらに、田沼意次が幕閣の中枢にいた10代将軍徳川家治時代(1760〜1786)に、広範囲に株仲間の結成を認め、当時畿内を中心にして著しく発展し始めた商品生産と商品流通を、株仲間を通じて統制する目的と、幕府財政のために株仲間からの冥加金の上納増加を試みました。


しかし、12代将軍徳川家慶時代の天保の改革(1841)で、株仲間による独占が商品の円滑な流通を妨げ、物価高になると見なされ、株仲間の大半に解散命が出されました。その結果は、かえって商品流通の混乱を引き起こして物価が高騰し、10年後の1851年に商品流通の混乱を避けるため、冥加金なしの問屋仲間を公認しました。13代徳川家定時代の最晩年の1857年には、再び株仲間が復活し、幕府への冥加金の上納も再び行われました。しかし以前より株仲間の株数が増やされ、新興の商工業者を取り込むなどして、以前とは違って大幅に製造や商取引のおける独占権は制限されました。


 そして、明治5年(1872)に明治政府によって株仲間制度は廃止されました。自由に製造や商取引をすることが可能になったのです。





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