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東京の忘れられた鑿鍛冶名人

左 久作 刻印


はじめに


 私の父で、鉋の台入れ師であった故左喜雄は(大正5年生まれ/白崎秀雄著「千代鶴是秀」のなかに千代鶴是秀が元三井財閥の三井高遂氏に鍛った鉋に臺三宿住鈴木作と書いたとありますが、これは父のことです。)、大切に使っていた鑿を、一段の引き出しに10本余りの鑿が入る木製の5段鑿入れ箱に仕舞い、それを店の奥の作業場に置き、そこから鑿を取り出しては樫の木屑の中でかつて鉋台を掘っていました。
千代鶴 是秀作 「精神」
千代鶴 是秀作 「精神」1
千代鶴 是秀作 「精神」2

 その鑿入れ箱には、千代鶴是秀が父のために特別に鍛ってくれた多くの鑿や二代目左市弘の山崎勇氏が鍛った多くの月市弘銘の鑿に
混じって、 「東京鑿鍛冶組合○刃マーク」 マークの付いた壽銘(作者不明)の鉋台堀り鑿や、
「東京鑿鍛冶組合○みマーク」 マークの付いた初代正芳・廣近(小松川の長谷川氏の作)・則次
月小月(藤沢の山崎氏の作)(作者不明)・月小月(藤沢の山崎氏の作)銘の鑿があります。大工道具を扱う金物業界では、この二つのマークは東京の鑿鍛冶組合の共同商標であると以前より語り伝えられてきましたが、このマークの違いは何なのか、誰が中心となっていつ鑿鍛冶組合が結成されたのか、正式な名称は何というのか、またいつまで存続したのか、どのような鑿鍛冶の人達が参加していたのかなどについては、ほとんど知られていませんでした。

上写真 月小月(藤沢の山崎氏の作)

 この東京の鑿組合の記憶が時代の流れの中に消える前に、後世に記録としてその名を残していきたいと思い、いろいろ調べていく中で、ある人より月島の二代目左久作の池上喬庸氏が詳しいのではないかとお聞きし、メールで鑿鍛冶組合についていろいろ詳しく教えて戴き、正式な名称が「東京鑿共同組合」であると知ることができました。
 そこで、昭和61年に二代目左久作の池上喬庸氏が書かれた「誂え刃物師三代の記録/江戸鍛冶の注文帳」(出版は諸事情で昭和67年)や二代目正芳の湯沢昭男氏からお聞きしたこと、そして三条金物ニュース:三条の職人 第三回 山田海弘(昭和52年3月15日号より)も参考にして、「語り伝えられた東京鑿共同組合」という題で記述し、当店のホームページの「道具の歴史」欄に載せ、大工道具に関心のある多くの人達に広く知ってもらうと共に、資料として後世にその名を残していきたいと思います。

「語り伝えられた東京鑿共同組合」 目次



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(一) 「東京鑿共同組合」の結成について (二) その後の「東京鑿共同組合」について (三) 「全国鑿製造業組合連合会」について むすびに (一) 「東京鑿共同組合」の結成について