
        


はじめに
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かつて明治・大正・昭和の時代、國弘・義廣兄弟そして石堂秀一や千代鶴是秀に代表される鉋鍛冶の名人や達人を多く輩出した東京は、日本の鉋鍛冶界の頂点に君臨していました。 |

千代鶴是秀 作 「藤四郎」
その東京製の鉋にある時期から |
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マークが付けられるようになり |
ました。このマークはいったい何を意味するのか。また東京には、かつて鉋鍛冶の組合が存在し、この組合の正式な名称は何というのか、いつ・どのように結成されたのか、組合長はだれであったのか、どのような東京の鉋鍛冶の人達が参加していたのか、いつまで存在していたのかなどについては、利器工匠具を扱う今日の金物業界ではまったく謎で、わたしは以前から資料をいろいろと探してきました。 |
ところがごく最近、二代目「正芳」の湯沢昭男氏宅で、思いもかけず昭和42年(1967年)当時の鉋組合の名簿を見せて戴き、そこにはそうそうたる鉋鍛冶が名を連ねていて驚くと共に、正式な名称が「東京 |
都鉋製造協同組合」であること、そして |
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マークが組合の共同商 |
標であることが判明し、貴重な資料の突然の出現に驚きました。さっそくそれをコピーして戴くと共に、いろいろと東京の鉋鍛冶のことについてお聞きしました。また湯沢昭男氏の兄であり、かつてこの鉋組合のメンバーで、以前足立区梅田で鉋を鍛ち、現在栃木県日光市で鉋などの刃物を鍛つ「宝龍斎秀延」の湯沢秀男氏(栃木県知事賞受賞・栃木県伝統工芸品認定・今市市オアシス文化技術大賞受賞)の住所を教えて戴き、電話で「東京都鉋製造協同組合」についていろいろお聞きすることができました。 |
そこで、お二人のお話に基づき、「東京都鉋製造協同組合」について上記の謎であった点について記述し、貴重な資料として後世に残していきたいと思います。 |
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