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(一) 箱書きされた文字について



太郎1 わたしの手もとには、鉋刃を桐箱に入れ、上蓋に墨書きした千代鶴運壽鉋があります。この鉋は、太平洋戦争終戦後の間もなく、廃業した老舗大工道具店が持っていたものを、神田のある問屋の社長が当店に売りに来たので、父が買い求めたものです。

 このとき、手に入れたものに運壽鉋のほか、田圃と刻印の打たれた義廣4寸鉋、「明治二十七年勧業博覧会出品 優等賞授与 加藤鉱山撰出」と書かれた仕上砥石がありました。

 この運壽鉋の出来具合はすばらしく、かなりの腕を持った鉋鍛冶によって鍛れたものと思われます。鉋刃の薄さ、鍛接された鋼の薄さから、戦前に鍛たれたものと思われますが、現在作者はまだ不明です。

太郎2



 上蓋に墨書きされた文字は、たいへん達筆で、何と書かれているのかは読み辛いですが、この墨書きは「長運斎綱俊 曾孫 千代鶴運壽鉋 一寸八分」と記されているのです。長運斎綱俊とは、江戸時代後半の備前伝の刀を鍛った著名な刀匠で、米沢藩上杉家のお抱え刀鍛冶であった初代長運斎加藤綱俊(加藤八郎)のことです。


運壽鉋を鍛った2代目千代鶴太郎(加藤新太郎)からすると曽祖父で、新太郎は曾孫に当たります。ちなみに、2代目長運斎綱俊(加藤助一郎)にとって、新太郎は孫です。これらの加藤家の家族関係については、拙著「日本の大工道具職人」の中の第1章の1「千代鶴是秀の系譜」をご覧ください。


 では、なぜ箱書に曾孫と記したのでしょうか。ここに疑問が残ります。この箱書は千代鶴是秀が書いたのではなく、字体からもそれを察することができます。推察するに、おそらく2代目長運斎綱俊の次男で、千代鶴是秀の次兄に当たる加藤義治郎の可能性があります

 義治郎は、父のもとで一時期刀鍛冶の修業をしていましたが、たいへんな達筆家であった義治郎は、刀鍛冶修業をやめて政治活動に興味を持ち、板垣退助などの自由党幹部の演説会看板書きや規約・規則などを浄書していました。

太郎3 この義治郎は、後年の一時期、千代鶴運壽銘の登録商標を持っていた湧井商店で箱書していたとも聞きます。箱書された運壽鉋は、太平洋戦争終戦後、間もなく手に入れたと父から聞いています。そこで、この義治郎が尊敬していた祖父の初代長運斎綱俊から見て、千代鶴運壽鉋を鍛っていた新太郎が曾孫にあたるので、義治郎が自ら「長運斎綱俊 曾孫」と書いた文字の可能性があるのではないかと想像が広がります。 

 千代鶴是秀は、息子新太郎のことを2世千代鶴太郎といい、長運斎綱俊曾孫とは言っていません。千代鶴是秀は、修業先の師匠であり、精神面で強い影響を受けた江戸幕末期屈指の刀匠7代目運壽斎石堂是一に、厚い尊敬を持っていました。
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