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《大工道具鍛冶に関する史料「怪物傳」》



千代鶴是秀の掛軸


はじめに



 大工道具鍛冶の頂点を極めた千代鶴是秀は、優れた名品を数多く世に残して、昭和32年10月2日に84歳でこの世を去って行きました。この千代鶴是秀は、また「能筆家」としても知られ、漢詩などについての深い素養をもって書かれた「書」・「色紙」・「句」や、心の中を洗われるような善意に満ち溢れたすがすがしい文章の「手紙」などの墨跡は、鍛った作品と共に、関係者の間で大切に保存され続けています。

 鍛った鉋や鑿、また切り出しなどを桐箱に入れて箱書きしたのは、千代鶴是秀が道具鍛冶として最初です。また鉋の台に筆で文字を書いたり、鉋や切り出しなどにタガネで文章を刻んだのも千代鶴是秀が道具鍛冶として最初です。千代鶴是秀が能筆家であったことがその理由の一つでしょうが、同時に鍛った作品をたいへん愛おしく思っていたことを意味し、千代鶴是秀が単なる大工道具鍛冶でなかったことの証しと言えましょう。

 昭和8年1月に、千代鶴二世として将来を期待された息子・太郎が、道具鍛冶の修業と遡像彫刻の勉強との葛藤に悩み、27歳で伊豆大島の三原山火口に消息を絶ちましたが、これ以後千代鶴是秀の作風が大きく変化して行きます。

 今までのように切れ味をひたすら追求した機能性のある道具から、装飾を持った芸術性の豊かな作品へと変わって行き、その過程で桐箱に入れて箱書きしたり、鉋の台に文字を書いたり、作品にタガネで文章を刻んだりして、「使われない道具」を鍛つようになって行ったからです。そこには、千代鶴是秀の深い意味が含まれているのです。

 スズキ金物店にも、父・左喜雄のために千代鶴是秀が書いてくれた書や色紙、また手紙、箱書きされた作品が保存されています。それらを紹介しながら、千代鶴是秀がどこで書を学び、誰から漢詩などの素養を得たのか述べると共に、なぜ芸術性豊かな作品を鍛って「使われない道具」になっていったのかについても、私の見解を一つ試論として述べてみましょう。


この原稿は、白崎秀雄著「千代鶴是秀」・幸田守親著「随筆なにがなんだか―名工千代鶴是秀―」・土田昇著「千代鶴是秀」を参考にさせて戴きました。

千代鶴是秀と「書」について 目次



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