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(一) 曲尺の歴史




 曲尺(さしがね)には、昔から曲尺(まがりしゃく/かねじゃく)・差金・指金(さしがね)・鉄尺・尺金・大工金・矩差(かねじゃく)・規矩尺(くぎしゃく)などの別名の呼び名が多くありました。奈良時代(710〜794)には曲尺の文字がすでにあり、平安時代の899年に書かれた辞書「新撰字鏡」では、曲尺を(まがりかね)と読んでいます。中世時代になると、番匠が曲尺を使っている絵が描かれています。

この曲尺は、飛鳥時代(550〜710)の始めに、仏教伝来と共にその寺院建築のために、朝鮮半島から渡来した工人たちが寸法を測る道具として持ち込まれました。このとき伝来した曲尺は、木製乃至竹製とも言われています。


曲尺は、古代中国の神話に出てくる最初の皇帝である伏羲(ふくぎ)が曲尺を持つ姿が描かれていたり、また紀元前6世紀の中国の春秋戦国時代に、工聖と呼ばれる伝説的な大工の魯班が作ったとも伝承があるように、大変古い歴史を持っています。


 曲尺の目盛は、現在メートル法で使用されていますが、曾ては尺目盛が記され、高麗尺(1尺が約35.6p)、大宝律令小尺(唐尺に由来し、平安時代以降はこれが一般的になる。1尺が約29.6p)、又四郎尺・鉄尺(室町時代後半に京都の指物師又四郎が定めたと伝えられ、大工が主に用いた。1尺が約30.258p)、明治26年に施行された曲尺(1尺が約30.3p)などがありました。

また、吉凶の寸法を占う魯班尺もあります。風水術で使われる道具の一つで、風水尺とも呼ばれています。日本では1尺2寸を8等分し、財・病・離・義・官・劫・害・吉の8文字を当て、これで門を作るときの吉凶を占ったので門尺とも言い、曾てこの吉凶文字は曲尺にも記されていました。豊臣秀吉が築いた大阪城は、この魯班尺が使われたとの言い伝えが残っています。


 日本の曲尺の最大の特徴は、裏目にあります。曲尺の長い方(長手)を持って、短い方(妻手)が左になる目盛が裏目です。この裏目に、角目と丸目があります。角目は、表の√2倍の目盛で、直角三角形の斜辺が計算しないで求められ、建物の隅を墨付けするのに大変役立ちます。

 この角目は、平安時代の末期に曲尺に記されたとの説や、隅を複雑に組み合わせる醍醐寺五重塔が建てられた平安時代の中期との説もありますが、角目の発明によって隅の屋根材の複雑な組み合わせを解決する方法である規矩(きく)術が、飛躍的に進歩しました。

 丸目は、円周率で割った目盛で、丸材の直径を測るだけで円周が解ります。この丸目はより新しい時代になってから曲尺に記されたようです。丸目は本来規矩には関係のない目盛です。

 曲尺には、多種多様な使い方があります。たとえば、直角や長さや平行線、仕上げ面の平坦さ、曲尺の幅(5分)でほぞ穴寸法を決めるばかりでなく、表目と裏目を利用して立体的な作図も可能です。さらに江戸時代では、和算の発達によって、乗除・開平(面積)・開立(体積)から比例配分計算まで可能になり、計算機機能まで持っていました。

昭和34年にメートル法の改正で尺貫法が禁止されて、昭和35年から曲尺に尺目盛が記せなくなりましたが、昭和40年代に日本の建築文化を守る全国運動の先頭に立った永六輔などの活躍によって、寸目盛の曲尺が残されました。


 曲尺の材質は、長い歴史の中で木製乃至竹製から鉄製、鋼製、真鍮製へと変わって来ましたが、昭和6年東京の川口度器がステンレス製の曲尺を製作し、現在ではこのステンレス製のメートル目盛曲尺が主として使われています。曲尺起源の中国では、金属製の曲尺はありません。

現在では手頃な価格で曲尺を手に入れることができますが、古来より曲尺は大変高価で貴重な大工道具でした。ステンレス製曲尺が出現した当時でも、価格が大工手間3人分の4円50銭であったことからも、それは推察できます。





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