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関西型の鏝の柄の形状として、京都型と大阪型があることが、左官業界では一般的に知られています。その柄の断面図を表示すると、下図の通りです。 |
京都型 |
大阪型 |
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京都における角柄については、すでに語りましたので、大阪型の角柄にいついて述べてみましょう。昭和時代の始め頃から終わり頃のある |
時期まで、大阪に |
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(瓢箪ト)と銘を打って左官鏝を作る鏝鍛冶が |
いました。ほとんどの場合、鏝鍛冶から鏝を買い取った問屋が鏝の柄を付けるのですが、大阪の「瓢箪ト」の鏝鍛冶は、自分で角柄を作って鏝に自ら付けていました。 |
この柄の形状が角柄でも、上記のように京都型の角柄とはいくらか違っていたのです。そのため、この形状の角柄を大阪型と呼ぶようになったのです。 |
現在では、角柄というと京都型をいい、大阪型は消えました。三木で作られた鏝に角柄を付けるときは、すべて京都型です。 |
実は、あまりよく知られていないことですが、関西型鏝柄にはもう一つあります。それは卵型の丸柄で、私はあえて「三木型」鏝柄とここで呼びます。柄の断面図は下図の通りです。 |
三木型 |
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この卵型の柄は、多くの関係者が丸柄ということで、関東型あるいは東京型であると間違って理解していますが、三木の鏝柄の関係者が握りやすい柄として考案したもので、その意味から純然たる関西型です。この柄は明治時代の後半から、三木で鏝柄として使用されているとのことです。 |
昭和30年前後から、三木の鏝が近畿・中部・中国・九州地方などによく出回るようになり(※5参照)、また東京オリンピック(昭和39年)開催のために東京の都市再開発が行われた頃、今まで西勘鏝が独占していた東京に、三木の鏝が関西鏝として大量に出回るようになり(※6参照)、さらに関東全域、東北地方、北海道へと市場を広げ、全国的に卵型の鏝柄が広がりました。 |
(※5) |
三木の左官鏝を扱う有力な金物問屋であった(株)横光金物の三代目社長横山豪樹氏から以前に、「三木でもよく知られていないことですが、横光金物の創業者で、初代社長であった祖父の横山光之助が、昭和20年代始めに東京の西勘から鏝を一揃い買い求めて来て、それらの鏝を模して三木の鍛冶屋に作らせました。それによって三木の左官鏝製造が盛んになり、鏝の一大産地になった理由の一つです。」と聞いたことがあります。
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(※6) |
当時(株)横光金物の番頭であった関 忠行氏が、販路拡大のために、西勘鏝が独占していた東京に出掛け、三木の鏝をはじめて東京に売り込んで市場を開拓し、今日の東京における三木鏝の市場の基礎を築きました。 |
現在、三木の鏝は、京都や一部の地方に送る場合は京都型角柄で、その他は要望がない限り、中首鏝は卵型丸柄で、元首鏝は真ん丸の丸柄で送っています。最近では、柄を作る経費の点から、中首鏝の柄ははっきりした卵型からより丸みを帯びた卵型になって来ています。 |
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