スズキ金物店メインイラスト

T O P 会社概要 商品紹介  焼 印合カギ D  I  Y 千代鶴系譜 道具の歴史リ ン ク





(二) 日本の鉋における裏スキの誕生



 木材を平らに削る台付き鉋の出現は、室町時代の中頃に遡ります。中国大陸から、鉋台の両脇に取手が付いた1枚刃の押し鉋として伝わりました。中国や朝鮮半島では、松など硬い木を削るため、両手で鉋台の両脇に付いた取手をつかみ、力一杯押して削り、その後塗装仕上げをしました。鉋で薄く削り、木材の美しい削り肌を尊重する美意識はなかったようです。また、前に紹介した中国の産業技術書「天工開物」には、鑿と同様に鉋にも鋼をはめて製造されましたが、現在中国や朝鮮半島で使用されている同型の鉋の刃には「裏スキ」が見られませんので、当時も「裏スキ」がなかったものと推察できます。


 その後、日本では室町時代に押し鉋と共に、引き鉋も考案され使われますが、江戸時代になると、鉋はすべて引き鉋になります。日本では檜や杉などの軟木が多用され、木材の削り肌を重視する美意識がありましたので、丁寧に薄く削るために引き鉋になって行ったと思われます。

江戸時代の鉋は、ほとんどが削り幅が1寸4分(42mm)のもので、幕末ごろから削り幅が1寸6分(48ミリ)の鉋が使わられ始め、明治時代になると、1寸8分鉋とか2寸鉋などと鉋の削り幅が大型化します。また、明治時代の初期には、逆目でもきれいに削れる取手の付いた二枚刃の西洋式押し鉋の影響を受けて、日本の鉋も2枚刃鉋が出現します(拙著「日本の大工道具職人」平成23年)。西洋式押し鉋にも「裏スキ」はありません。


このような台付き鉋の歴史の中で、いつ頃日本の鉋に「裏スキ」付けられるようになったのでしょうか。それは、台付き鉋が日本で造られるようになってからだと思われます。鑿と同じように良く研ぎ仕上げることができ、薄く削れるように「裏スキ」が鉋の刃に付けられたことと思われます。「裏スキ」は、日本で考案された独特のものであると言っていいでしょう。





←前のページへ   このページのトップ   次のページへ→

トップイラスト

Copyright (C) 2006 Suzuki Kanamono. All Rights Reserved