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むすびに



今回「江戸目」について調べてみようと思った契機は、私の著書「続・日本の大工道具職人」を平成24年9月に出版したのち、ふと鋸歯の変遷がどうなっているのだろうかと気になったからでした。


 さっそく関連文献を読み始めたり、インターネットで調べたりするうちに、神戸にある竹中大工道具館に行って、展示されている古代鋸や現代の鋸や海外の鋸を見てみたい気持ちが起こり、11月中旬にはじめて同館を訪れました。そして同館のご厚意で展示鋸を詳しく調べることができ、在庫されている竹中大工道具館発行の研究紀要もすべて求めました。

帰宅し、その研究紀要をすべて目を通すと、すでに古代から中世の鋸歯研究や近世の鋸について研究した論文がありました。しかし、「江戸目」についての研究がなかったので、鋸歯の変遷史を語る中で「江戸目」について解明してみようとの構想が思い浮かび、この原稿を書き上げました。


 「はじめに」のところで書きました唐招提寺金堂の木材に残された「江戸目」らしき鋸の挽き跡は、鋸歯の変遷史と「江戸目」誕生の時期から察すると、建立当時や5代将軍徳川綱吉時代の元禄6〜7年(1693〜1694)の大修理によるものではなく、明治31〜32年の大修理のときのものであると察することができます。

本稿を閉じるに当たり、その後の近・現代の鋸歯の変遷を簡単に述べてみましょう。明治になり、樵職や杣師(そまし)が使う大型の「イバラ目」鋸に上目がヤスリで擦られたもの(「続・道具曼陀羅」昭和53年)や、明治時代の後半に山林用の土佐鋸にアメリカの鋸を模倣した改良歯(窓ノコ)が現れたり(村松貞次郎著「鍛冶の旅・わが懐しの鍛冶まんだら」昭和60年)、また昭和40年代に新潟からベニヤ挽き用の鋸歯が登場し、一時ベニヤ鋸として普及しましたが、その後は手で挽く鋸需要の著しい減少により、新しい鋸歯は誕生していません。






   平成24年12月吉日
   有限会社 スズキ金物店
     代表取締役 鈴木 俊昭




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