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(一) 日本の墨壷の歴史 ―― 古代から中世 ――



 昔は家を建てるとき、まず最初に墨壷を使って墨付けすることから始まるのですが、その墨付けは必ず棟梁が行いました。また大きな建築の作業をする時には必ず工程の節目節目に神前で儀式を行い、その時神前に祀られるものの一つが墨壷でした。このように大工道具の中でも、昔から特に墨壷は重要な地位を占めてきたのです。
左・右「壷源」 中「壷豊」
 大工道具の中で唯一国宝に指定されているのが墨壷です。寛永11年(1634年)日光東照宮宮本殿の釿始め(起工式)の儀式に使われ、金メッキした銅板製で波と雲型模様の蒔絵、葵紋つきの絢爛豪華な尻割れ型のものがそれです。また正倉院に納られている尻割れ型の二つの墨壷や、元禄元年(1688年)東大寺大仏殿の釿始めの儀式に使われた尻割れ型の銅板に金メッキした唐草模様の施された墨壷とか、明治12年に奈良東大寺南大門の梁の上で発見された鎌倉時代から室町時代初期の頃のものと考えられている尻割れ型墨壷が、特に歴史的なものとして有名です。

 この墨壷は大変古い歴史をもっています。奈良時代の「日本書紀・雄略記」(西暦720年)に「誰か懸けむよ  あらた墨縄」と記されていたり、新選字鏡(西暦898年)に墨壷を意味する「墨斗」という文字が記されていたり、また法隆寺東院伽藍の円柱に墨付けの痕跡が見られますが、実物のものとしては、8世紀頃のものと言える川西市栄根遺跡出土の檜製の尻割れ型墨壷が最古のものです。この当時の墨壷は、壷の尻が二股になりその間に糸車が付けられた、いわゆる尻割れ型というもので、前場幸治氏はこれが古代か中世にかけてずっと用いられてきた墨壷の一般的な形状で、古代墨壷の最大の特徴であるとのべています。この形状の墨壷は、今日でも中国の大工職人が使用していることからも理解できるように中国から朝鮮半島に伝わり、そして朝鮮半島から日本に渡来した工人たちが持ち込み、広まったものと思われます。

 さらに前場氏は、尻割れ型でない1本もの、つまり尻部分をくりぬいてそこに車をつけた墨壷へ移行した時期を、古絵巻や社寺に奉納された儀式用墨壷から推察して、16世紀から17世紀初頭、つまり安土桃山時代の始まり頃ではないかと述べています。

壷源 作 (1) この墨壷の材質については、初めの頃は檜材が使われていましたが、前記の東大寺の忘れ物墨壷が桑材であったり、また江戸時代中頃の和漢三才図会に「桑を以て上となし、欅これに次ぐ」と記述されていることから、ある時期から桑の木が主流で、次に欅の木が使われ続けてきたものと思われます。またツゲの木も使われたようです。

 壷糸については、墨付がよく、伸びないために正確な直線が引ける絹でよった糸が用いられたものと思います。

壷源 作 (2)
 墨壷には下振り機能もありました。墨壷の重心の位置に回転する鉄の輪を付け、これに壷糸を通すなどして、垂直を見る下振りとしても使ったのです。いつのころから、この機能を付けたのか分かりませんが、鎌倉時代後期の絵巻物である松崎天神縁起のなかに棟梁が墨壷をたらして垂直を見ている絵があります。こうした吊り輪は江戸時代の初め頃には付けられなくなったようです。
壷源 刻印
 墨壷は大工職の人達が気に入ったように仕事の合間に自ら彫り、大工現場で使ってきました。


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