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むすびに



 今回、仏像彫刻と鑿の関連について書き上げようと思った契機は、新聞で運慶の彫った素晴らしい仏像写真を見て、運慶はいったいどのような鑿で仏像を彫っていたのだろうか、その鑿は残されているのだろうかと、ふと興味を持ったからでした。私は、「日本における鑿・鉋の裏スキについて」を今年の1月に書き上げていて(スズキ金物店ホームページ「道具の歴史」欄に掲載)、古代からの鑿の歴史について少し詳しく知っていましたので、それが心の中で運慶の仏像と共鳴したのかも知れません。

 さっそくいろいろ調べてみると、仏師の使った鑿やそれを作った鍛冶職の名前も残されてはいなく、またこの分野の研究もほとんど行われていないことを知りました。鑿などの刃物道具は、良く切れて使い易いほど多用されて消耗し、やがて使えなくなり、捨てられていきます。また、師匠が使っていた鑿を弟子に譲り渡されたこともあったかと思いますが、やはり弟子に使い込まれて消耗し、残されることはなかったのだろうと思います。これは刃物道具の宿命といえましょう。

そこで、日本における仏像彫刻と鑿の発達との関連を歴史的に調べ書き上げ、それを飛鳥時代から平安時代まで1部と2部に分けて「道具の歴史」欄に掲載しました。資料が極めて少ないこともあり、また鑿が発達した時代の状況証拠から推察をすることが多く、記述もまだまだ不十分なところも多くあろうかと思います。本稿はこの分野の研究の第一歩です。これを発表することによって、更なる調査・研究が行われる契機になれば、私の本望とするところです。




   平成25年5月吉日
   有限会社 スズキ金物店
     代表取締役 鈴木 俊昭


(参考文献)
真鍋俊照編「日本仏像事典」2004年
吉川金次著「ものと人間の文化史/斧・鑿・鉋」1984年
鈴木俊昭著「日本の大工道具職人」2011年
鈴木俊昭著「続・日本の大工道具職人」2012年
鈴木俊昭稿「日本における鑿・鉋の裏スキについて」2013年
長澤市郎論文「日本の木彫仏像―その製作技法と修理技法―」
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