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(一) 千代鶴是秀の書の師匠



 明治17年6月に、11歳の千代鶴是秀は母キクに伴われれ北新門前町の石堂家を訪れ、鍛冶職として弟子入りしました。当時、江戸幕末屈指の名工であった刀匠7代目石堂是一はすでに隠居し、刀匠8代目石堂壽永が鉋や鑿などを鍛っていました。

 千代鶴是秀は、鍛冶職としての精神面を、刀匠として誇り高い7代目石堂から指導を受けることになります。藩のお抱え刀鍛冶は、殿様に御目見得できる格式を持ち、そのとき一番の上席に研ぎ師、次に刀鍛冶そして鞘師、鍔師などの席順で座り、しかも彼らは読み書きができる素養をもった人たちでした。千代鶴是秀は、刀匠として誇り高い7代目石堂の精神を真摯に受け継ぎ、生涯堅く守っていきます。

 千代鶴是秀は、昼間は鍛冶職としての技術面の指導を8代目石堂から受け、夜は昼間の作業の疲れで眠たい眼をこすりながら、ランプ明かりの下で7代目石堂から習字と漢書などを読む指導を受けました。そして著名人宛の代筆も課せられました。

千代鶴運壽 千代鶴是秀の家系の人たちは、墨跡にたいへん優れた才能を持っていました。特に刀鍛冶に興味を示さず、政治活動に興味を持った次兄の義治郎は、たいへんな達筆家で、板垣退助などの自由党幹部の演説会看板や党の盟約・規則などの浄書をしていました。義治郎は、晩年の一時期、大工道具の問屋涌井精一商店で箱書きをしていたとも聞きます。

千代鶴運壽箱書き 


 7代目石堂の指導の下で、千代鶴是秀は見る見る内に上達し、その才能を開花させていきました。そして7代目石堂の代筆を任されるようにもなりました。後年、この能筆である才能が、道具鍛冶として新たに前人未踏の道を歩む時に活用されることになるのです。




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