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(九) 千代鶴 貞秀



 神吉義良は明治41年兵庫県三木市に生まれ、鉋鍛冶をしていた兄に弟子入りし、昭和初期の不景気の時代、東京へ職人として上京し、ニ代目國弘の弟子である國高や学童用の手工鉋を作っていた荒川区尾久の水無川という鉋鍛冶の下で働きました。そして昭和7年、三木に帰郷する前に何度か千代鶴是秀宅を訪ねました。千代鶴是秀は、弟子を取ることはいっさいありませんでしたが、訪ねて来た誰にでも暖かく応対していました。
帰郷後、大名人の千代鶴是秀に会って来たことを宣伝文句にして鉋を鍛っていましたが、兵役に就くことになりました。戦後、復員してから鉋鍛冶を再開し、主に義千代という刻印銘で、鶴の型をした刻印や千代鶴直伝という文字印をそえて打ち込んでいました。

 昭和24年に千代鶴是秀から、かつて弟子に授けた銘である貞秀を進呈されて、それ以後は千代鶴貞秀と自ら名のることになりました。やがて、村松貞次郎東大教授の書かれた「道具曼陀羅」に鉋鍛冶師として紹介され、千代鶴貞秀の名前は世に広く知られることになりました。昭和26年から平成2年にかけて播州三木でいろいろな賞を受けながら、現代の名工として二代目を育てました。

 二代目千代鶴貞秀(神吉岩雄)は昭和19年に三木市に生まれ、16歳のとき父の千代鶴貞秀に弟子入りしました。平成2年に二代目千代鶴貞秀を襲名し、平成10年には経済産業大臣認定の伝統工芸士になり、現在も鉋鍛冶を守っています。

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