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(一) 「墨斗」の語源について



 現在、「墨壷」は中国、朝鮮半島、日本などの東アジアに特徴的に見られる道具です。中国では、紀元前から線引きに使われる「墨縄」という漢字が使われていましたが、「スミツボ」を意味する漢字である「墨斗」の文字が現れるのは、唐の時代になってからです。

 国語辞典によると、「斗」とは、柄の付いたヒシャクを意味します。このことから「墨斗」とは墨の入った壷の部分と手で持つ車の部分が一体となったものを意味することがわかります。

 日本においては、日本書紀の「雄略記」に「墨縄」の文字が始めて現れ、755年の正倉院文書にも「墨縄」の文字が記録されています。

 898年の「新撰字鏡」に「墨斗」・「墨頭」の文字があらわれ、「須弥頭毛(スミツモ)」と読ませます。そして、「須弥奈波(スミナワ)=墨縄」と区別しています。竹中大工道具館の沖本弘研究員によりますと、「墨縄」について、「墨斗」のように「線をマークするという機能は同じでも、形態的に墨縄が墨を浸す壷と一体化された道具であったかは疑問が残る」と指摘しています。

 938年の「倭名類聚抄」では、「墨斗」を「須美都保(スミツボ)」と読ませます。これ以後、鎌倉・室町・江戸そして明治時代のある時期まで、釿始め(起工式)に神前に曲尺・釿と一緒に奉られる栄誉に服しながら、「スミツボ」は「墨斗」と文章上に表記され続けます。

 そして、東京芸術大学大学美術館所蔵の東大寺南大門梁上で発見された忘れ物「スミツボ」を明治27年に「墨斗」と記している文章がありますが、私の調べた限りでは、現在これが「墨斗」表記された最後の記録のようです。



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