この曲尺は、飛鳥時代(550〜710)の始めに、仏教伝来と共にその寺院建築のために、朝鮮半島から渡来した工人たちが寸法を測る道具として持ち込まれました。このとき伝来した曲尺は、木製乃至竹製とも言われています。
曲尺は、古代中国の神話に出てくる最初の皇帝である伏羲(ふくぎ)が曲尺を持つ姿が描かれていたり、また紀元前6世紀の中国の春秋戦国時代に、工聖と呼ばれる伝説的な大工の魯班が作ったとも伝承があるように、大変古い歴史を持っています。
また、吉凶の寸法を占う魯班尺もあります。風水術で使われる道具の一つで、風水尺とも呼ばれています。日本では1尺2寸を8等分し、財・病・離・義・官・劫・害・吉の8文字を当て、これで門を作るときの吉凶を占ったので門尺とも言い、曾てこの吉凶文字は曲尺にも記されていました。豊臣秀吉が築いた大阪城は、この魯班尺が使われたとの言い伝えが残っています。
昭和34年にメートル法の改正で尺貫法が禁止されて、昭和35年から曲尺に尺目盛が記せなくなりましたが、昭和40年代に日本の建築文化を守る全国運動の先頭に立った永六輔などの活躍によって、寸目盛の曲尺が残されました。
現在では手頃な価格で曲尺を手に入れることができますが、古来より曲尺は大変高価で貴重な大工道具でした。ステンレス製曲尺が出現した当時でも、価格が大工手間3人分の4円50銭であったことからも、それは推察できます。
Copyright (C) 2006 Suzuki Kanamono. All Rights Reserved