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はじめに
新潟県三条市における鉋鍛冶の歴史は、明治時代になって与板や長岡から道具鍛冶が来住して始まったと言われています。明治17年(1884年)に、与板の農具鍛冶栗林権平の次男信吉が来住し、鉋造りを始め、鉋鍛冶の先駆となりました。また、与板鉋鍛冶の始祖と伝えられる龍眠斎兼行の弟子の堤伝作も長岡から来て、鉋の製造技術を伝えました。 |
それより以前に、鑿鍛冶の河内庄次が明治15年頃に与板から来住し、その弟子となって修業した永桶米太郎が、独立後に鑿ばかりでなく、「永弘」銘で鉋を鍛ち始めました。 |
これらを契機としてその後、三条市に多くの鉋鍛冶が誕生して、日本における鉋の一大産地になって今日を迎えています。 |
当店には、“福耳永弘”と言われた太平洋戦争以前に造られたと思われる「永弘」銘の寸六鉋があります。東京の問屋が、廃業した金物小売店から引き取ったものを、昭和22、3年頃に当店に売りに来たので、父が購入したものです。そのとき一緒に、「明治27年勧業博覧会出品
優秀賞授章 加藤鑛山撰出」と墨で記された仕上砥石も購入しました。 |
また、昭和40年代後半に、新潟の問屋から「初弘」で最高級のものと言って求めた「磨き初弘」銘の寸八鉋があります。 |
今度は、これら三条鉋鍛冶の名跡である「永弘」と「初弘」について記載しようと、インターネットで調べて、詳しく知ることができましたので、所蔵しているこれらの鉋と仕上砥石を写真で紹介するとともに、これら鉋鍛冶の系譜について述べてみましょう。 |
尚、この原稿を記述するのに、新潟三条市の金物問屋・外栄金物(株)のホームページや三条市ホームページなどを参考にさせて戴きました。以下、敬称は略させて戴きます。 |

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