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(三) 中首型鏝の出現



 今までの通説によると、日本において明治時代の中頃まで鉄製の左官鏝は、すべて先の尖った元首型であったとされています。その理由として、(1)中首鏝の現物や史料がみつからないこと、(2)木柄を付ける首部を鏝台の尻部に付けるのではなく、中ほどに穴を明けてカシメ付ける技術は明治中期以降である(※5参照)ことがあげられています。


※5 今まで明治23年に刀鍛冶から鏝鍛冶になった中目黒住の初代兼定の加藤平蔵氏が、「笹の葉」という中首鏝を作ったのが、中首鏝の起源とされてきました。しかし、この鏝の現物は見つかっていません。


 しかし、西山マルセーロ氏の最近の調査・研究によって、この中首鏝の起源が覆りました。西山氏は以下のように指摘します。

(1) 「江戸職人歌合」に描かれている元首鏝は、鏝台の尻部でなく、内側に入って首部が付けられているので、首の接合にカシメの技術が用いられている。

(2) 江戸期の京都の鏝鍛冶として知られている雁金(かりがね)銘入りの中首型鏝や江戸期の特徴である八角断面の柄の付いた中首型鏝が発見された。

(3) 初代兼定は加藤亦造氏で明治末期の創業であった。

 そして、薄手の焼き入れの中首型鏝の製造経緯は不明であるが、少なくとも江戸末期には鉄製の中首型鏝が存在していた可能性が高いと主張します。


ヒシカ モルタル押え鏝 中首型鏝の出現以降、この型が鏝の主流となり、明治から昭和の初期にかけて、細やかな仕上げに合わせた鏝が数多く作られると共に、西洋建築の導入によってモルタルなどの新しい壁材や用途に合った鏝が求められるようになり、鏝の種類が次第に増えていきました。(※6参照)


※6
壁塗りは土壁が左官工事の主流であったため、荒塗り・中塗りには地金鏝が主流の鏝でしたが、モルタル仕上げの壁が多くなり始めた昭和30年前後から、半焼鏝・油焼鏝が登場し、地金鏝は次第に使われなくなりました。
また、昭和30年代始め頃からは、角鏝が登場しました。面引や切付には、いままで別注で作るか、あるいは形トタンを形折で面の形に作って使っていましたが、昭和30年代の始め頃から型で容易に作ることができるようになり、面引鏝・切付鏝として市場に多く出回るようになりました。


 そして戦後の高度成長期に入ると、ビル建設などの野丁場の仕事が盛んになり、左官工事の効率化のために鏝の長さと幅が大型化していきます。長さ330mm・360mmの大きさの金属製の中首型鏝でビルのモルタル壁を塗る人達も現れました。鏝の材質もステンレス・アルミ・プラスチックなどの新素材を使ったものも登場し、鏝の種類も一気に増えることになりました。




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