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(三) 鋸鍛冶 中屋久作について



 江戸の鋸鍛冶であった中屋久作については、明治38年に16代目久作を取材した八章 隠逸傳◎ 頓珍漢や◎ 仕事をぬすめ の中で詳しく紹介されています。以下、要約して述べます。

 打刃物の職人には名人が多くいます。京橋区北槇町に住む森宮大太郎は、銘を中屋久作といい、打刃物の中でも技術を要する鋸鍛冶の名工として、その名が全国に知れています。

 中屋久作家は、天正年間から江戸に住み、16代続いて来た鋸鍛冶の名門で、その中でもとくに12代目久作は、鋸鍛冶の名人として高く評され、弟子には神田の天狗源左衛門や四谷の中屋伊兵衛などの達人たちがいました。

 今の中屋家は33、4歳の16代目が後を継いで久作の名を守っていますが、名人に貧乏は付きものとかで、常に生活に苦しんでいる様子は本当に気の毒です。

 16代目は明治35年の暮れに流産した妻を亡くし、明けて36年は世の中がますます不景気で減るのは米櫃と財布の中身で、37年2月には隣家からの出火で全焼し何一つ持ち出せず、保険金は債権者に持って行かれ、無一文となり、どうにか家は普請したものの、お金が無くてお見舞いの返礼も出来ず、不景気でお金は更になく、食うためにスコップ、ツルハシでも作り、先祖以来の名誉を落としていいのかどうかと、明治37年ごろに悩んでいます。

 鋸に偽物が多くあるのはよく知られていますが、その中で最も多いのが中屋久作の作った鋸で、20枚あれば15枚は偽物と言うくらいです。次に多いのは越後の中屋伊之助の鋸、三番目は伏見の仲道久兵衛の鋸です。

 鉋鍛冶の義廣では、製作は一切秘密で、秘密が漏れるのを恐れて他人を弟子に取らず、家族・親族だけで作っていましたが、鋸鍛冶の久作は弟子に「親方の仕事を盗むことが出来ない奴は、くたばった方が良い」といい、大っぴらに仕事を公開しています。

 そして「名声は年を取らなければ上がりませんが、名品は若い時に限ります。24、5歳のまだ世帯気のない血気盛んなときでないと、立派な品はできません」とも言っています。



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