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 《会津最後の鋸鍛冶「中屋伝左衛門》



げんのう1



はじめに



しばらく、「道具の歴史」欄に大工道具に関連した原稿を記載するのを休んでいましたが、その大きな理由の一つは、私がホ−ムページに発表した原稿を書き直したり、新たに原稿を書き上げたりし、それらを「日本の大工道具職人」という題名で8月下旬に財界研究所から本を出版する準備にかかっていたからです。


 2度のゲラ刷り校正を終え、後は印刷されるのを待つばかりになり、いくらか時間の余裕もできましたので、また「道具の歴史」欄に掲載する原稿を書き上げて行きたいと思います。

7月下旬に2代目正芳の湯沢昭男氏宅に久しぶりに訪れました。その際に、お借りした村松貞次郎著「鍛冶の旅――わが懐しの鍛冶まんだら――」の本のなかに、私がまだよく知らなかった新潟三条の玄能鍛冶の名工長谷川幸三郎氏の経歴が少し書かれていました。


 そこで、休み明けの第1回目は、この長谷川幸三郎氏について語ってみようと急に思い立ち、いろいろ調べて行く過程で、金槌がなぜ「源翁」・「玄翁」・「玄能」と漢字表記されて来たのかについて大きな関心が生じ、またこれらの語彙について現在混同もされていますので、長谷川幸三郎氏について語るのは次回にして、まずこれらを解明することを優先することにしました。調べていく過程で、意外な事実も次々に解りました。それらを「げんのう」の漢字表記の変遷についてと題して、以下述べてみましょう。 

尚、この原稿を書き上げるのに、フリー百科事典「ウィキペディア」、江戸時代に書かれた「和漢三才図会」や「道具字引図解」、渡辺晶著「大工道具の日本史」(平成16年)、多くのホームページなどを参考にさせて戴きました。



「げんのう」の漢字表記の変遷について 目次





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(一) 「源翁」・「玄翁」の由来について (一) 「源翁」・「玄翁」の由来について (二) 「玄能」の文字が表記された時代 むすびに