鋸・鑿・鉋などの大工道具と比べて、三条で専業として本格的に玄能が製造されるようになったのは思いのほか遅く、昭和の時代になってからでした。
その後、材料を丸鋼とした現在のような全鋼の玄能が、ベルトハンマー・ドロップハンマー・エアハンマーを順次に導入することによって大量に製造できるようになり、価格的にも手頃な値段になって今日を迎えています。
この三条における玄能製造の歴史において、玄能を単なる道具から芸術品の域にまで高めた玄能鍛冶に、「幸三郎」銘の名工長谷川幸三郎氏がいました。長谷川氏は、平成16年11月に69歳で惜しまれてこの世を去りましたが、「幸三郎」銘で多くの玄能の名品を残しました。
今回は、この長谷川氏について「玄能鍛冶の名工長谷川幸三郎について」と題して語ってみましょう。
尚、三条市ホームページ、村松貞次郎著「鍛冶の旅――わが懐しの鍛冶まんだら――」(昭和60年)、外栄金物(株)ホームページや他の多くのホームページ、三条の大工道具問屋(株)吉村商店からお聞きしたことなどを参考にさせて戴きました。以下、敬称は略させて戴きます。
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