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(二) 平安時代



 この時代の前半になると、造営事業の増大と財政難などによって、奈良の多くの造寺司が廃止され、木工寮とは別に、既存の建物の修理・営繕を担当する修理職(しゅりしき)が設置されますが、木工寮と同じ階級組織の大工・少工・長上工・番上工で運営されました。

 既存の大きな寺も、造寺所内に木工方ばかりでなく、土工方・瓦工方・鍛冶工方などを設け、東大寺造寺所では大工・権大工・長・連で、他の造寺所では大工(だいく)・」引頭(いんどう)・長(おとな・ちょう)・連(つら・つれ・れん)という呼び名の階級組織で運営されました。建築工事現場によっては、副統率者を権大工・小工・引頭・番頭というように、また連を列とか末工と呼ぶこともありました。


 このように、木工寮に属さない建築工匠たちが大きな寺の寺工として現われ、かれらはそれぞれの寺で「座」、あるいは「木工座」という工匠集団を平安末期までに結成していました。


 平安時代後期の建築記録によると、高野山金堂上棟では大工為末・引頭2人・長12人・列59人と、また高野山大塔事始めでは大工散位藤原国任・引頭2人・列8人と古文書に記されています。事始めとは、起工式の手斧始めのことです。


 神社の古文書によると、香取神宮では大工・脇工・小工、伊勢神宮では頭工・頭代・小工、熊野神社では大工・番頭・長という身分組織で造営していました。


 平安時代でも、このように木造建築に携わる工匠身分にはいろいろな呼び名がありましたが、工匠たちの職業職名は、依然として一般に「木工」という漢字を使い、「こだくみ」と呼ばれていました。






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