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(一) 江戸刃物鍛冶の系統―「清弘」系について



 二代目左久作の池上喬庸氏の著書「誂え刃物鍛冶師三代の記録」によると、江戸時代の中頃、廐橋(今の墨田区)の大川端辺りに住んでいたバンバの「清弘」が江戸刃物鍛冶の祖です。始めは野鍛冶で、馬具の方の鍛冶屋であったのではないかと推察されています。その後、「清弘」は何代か続き、明治になってから刃物専門鍛冶になりました。
清忠 鑿

「左清忠」刻印
 初代「清弘」の何代目かの弟子に、
「清治」・「清長」がいました。「清治」系には明治から大正時代にかけて活躍した「千代弘」・「左勝廣」がいて、「清忠」(初代:島村忠五郎)は江戸刃物鍛冶達人の一人と言われた「千代弘」の最後の弟子でした。(「清忠」については、「東京の忘れられた鑿鍛冶名人」を参照下さい。)

「清忠」刻印
 明治時代から刃物鍛冶になった「清弘」の弟子に、初代「久弘」の柏木梅吉、そして三味線・楽器刃物鍛冶になった「国領」や初代「孝弘」がいました。初代の圓山「孝弘」は「清弘」系の最後の弟子で、大工刃物の中でも特に曲者(くせもの)鍛冶を得意し、埼玉県浦和で二代目まで続きましたが、昭和40年代に廃業しました。



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