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むすびに



 今回は、なぜ「スミツボ」を「墨坪」という漢字で表記したのかと、突然に疑問になり、いろいろと調べて、古代から日本で「スミツボ」がどのように漢字表記されて来たのかを歴史的に語る中で、その解明を書き上げました。

 調べて意外であったのは、業界人や大工道具研究家が、今までごく当然のように「スミツボ」を表記する漢字を「墨坪」と受け入れ、なにも疑問に思っていなかったことです。私は、以前に書き上げた「東京墨壷の系図」で、「スミツボ」が「墨斗」と漢字表記されていたのを知っていましたので、もしかすると「墨斗」から「墨坪」への漢字表記の移行は、明治の中頃に墨壷製作専業の人達が出現してからではないかと推察し、いろいろ調べました。

 その上で、明治の中頃に新潟で最初に墨壷製作を始め、しかも「坪」の文字を使って現在も墨壷を製作している有限会社「坪源」に電話してお聞きしました。その結果は「墨坪の語源について」で明らかにされている通りです。また新潟で唯一「壷」の文字を使っている「壷静」銘の田巻製作所にも、事情を説明してなぜ「壷」の文字で表記しているのかお聞きし、この原稿を書き上げることができました。

 いまこの原稿を書き終えて、中国から伝来した「スミツボ」の形態が、「墨斗」という中国的形態から日本化される長い時代を経て、形態の日本化が完成された明治の中頃から、「墨斗」から「墨坪」へと漢字表記が変わったことは、なにか意味深いものを感じています。

 尚、「墨坪の語源」を調べる際に、突然お電話したにもかかわらず、ご親切にいろいろと教えて下さいました有限会社「坪源」と「壷静」銘の田巻製作所の二社に心から御礼申し上げますと共に、この原稿を当店のホームページに記載し、記録として後世に残したいと思います。




   平成22年3月吉日に記す
   有限会社 スズキ金物店
     代表取締役 鈴木 俊昭




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