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(一) 両刃鋸の出現時期について



 4世紀や5世紀頃の古墳からは、幅2〜3cm前後、長さ15〜20cm前後、厚み0.2cm前後の長方形をした金属の両側に鋸目があり、両端に角張った木製の柄を付けた両刃鋸が出土しています。これらは、主に鹿角や獣骨などの切断に使われたと指摘されます。また、7世紀の古墳からは、幅2.5cm、長さ22cm、厚み0.45cm、太目と細目の鋸目が両側に目立てされ、片方のみに取手となる木柄がついた両刃鋸も出土しています。これは木材などの切断にも使われたものと指摘されています。

 これらの両刃鋸は、古代両刃鋸と呼ぶもので、使いづらいこともあってやがて消えていき、樹木や木材などの切断にはいろいろな形態をした片刃鋸が、その後に現れるようになります。、また、忍者用の小型で外湾した細長い両刃鋸も作られたりします。

 本稿で記述する両刃鋸は古代両刃鋸ではなく、今日我々が見るような両刃鋸で、主に大工職の人達が造作やきざみ用に使った大型の現代両刃鋸のことを指します。

 今までこの両刃鋸の出現時期については、古老の大工職の話などから吉川金次氏は「明治30年代に絞ることができそうだ」と指摘しています。また、土田一郎氏は「明治30年代に登場した」と指摘しています。

 さらに、明治10年の第1回内国勧業博覧会に出品された鋸に両刃鋸の記述があることから、ここに出現の時期を推測する例もあります。しかしこれについては、図や写真が存在しないことから現代両刃鋸であるのかどうか分からなく、吉川金次氏のように鋸目の数から畦挽き鋸であるとの説もあって定かではありません。

 新資料「新撰百工図」の中にある両刃鋸が描かれた「鋸の目立」図の発見によって、今までの通説を覆すことになるかも知れませんので、以下これについて詳しく記述しましょう。

両刃鋸の出現時期3


T、 新撰百工図について



 「新撰百工図」は、明治22年2月10日に創刊された雑誌「風俗画報」に、40号(明治25・4・10)から245号(明治35・2・15)まで82回に渡って連載されたもので、江戸以来の職人の仕事ぶりを尾形月耕が描いた数百種の職人図から選ばれたものです。絵についての解説は、武田酔霞・山田重民などがしています。

 尾形月耕(1859〜1920年)は、画は独学で習得し、人力車の蒔絵や陶器の下絵、「絵入朝野新聞」などの挿絵を書きました。明治21年に二葉亭四迷や山田美妙の小説の挿絵で有名になり、明治24年岡倉天心の日本青年絵画協会の設立に参加し、その翌年から「風俗画報」に「新撰百工図」の連載が始まりました。

 この「百工図」について、神奈川大学の中町泰子COE研究員の論文「諸職風俗画像と新撰百工図」では、「これらの画像一点一点が、いつ描かれたものなのかが正確に把握できないのである。それらは明治25年の連載開始以前のいつからか、連載終了の同35年までの時間帯のどの時点かで描かれたと考えるほかないのである」との指摘や、さらに「訪れた現場とはどこだったのかという問題も伴っている」との指摘があります。

 しかし、元武蔵野女子大学教授で日本近代文学館理事・江戸東京博物館運営委員の槌田満文氏は、東洋堂主人に語った尾形月耕の発言から、「江戸東京職業図典」の中で、「月耕が下町職人の取材・写生に当たったのは明治10年代で、職人の仕事ぶりは江戸時代とほとんど同じだったとみられる」と指摘していますので、描かれた年代と図像資料の写実性は期待できるものであり、当時を知る歴史的な資料と言えましょう。



U 「鋸の目立て」の図


丁髷姿で目立て

 この図は、明治30年12月10日の154号に掲載されたもので、丁髷を結った中年らしい目立て職人が、多分お店と思われる仕事場で、頭に手ぬぐいをかぶせ、あぐら座りをして目立てをしている姿が描かれています。厚着をしていることから、寒い時期ではないかと思われます。

台切鋸

 店の奥には、二人で太い丸太を輪切りに挽く大きな台切鋸があり、この形態の鋸は明治初頭期の頃によく使われたものです。奥の棚には売り物と思われる柄の付いていない大小のの片刃鋸が数多く在庫され、座った右手横にある5段引き出し箱の、すこし開けられた一番上の引き出しには、目立てヤスリが仕舞われていると思われます。

両刃鋸 座った左上には4、5枚の柄付き片刃鋸が置かれ、右下には問題の両刃鋸が柄の付いていない状態で置かれています。両刃鋸は頭のところが角でなく、ゆるくV型になっているのが分かり、この時期の両刃鋸はこのような形態であったと知ることができます。

 今まで、使い易さを追求して江戸時代の後期頃にできた縦挽と横挽の一対の頭部角型片刃鋸が融合一体化して、現代両刃鋸に発展して行ったとの説が一般化していますが、この絵の両刃鋸は頭部がゆるくV型になっているので、今までの通説を再検討する必要があります。

 では、なぜゆるいV型なのかは、いま詳しいことは分かりませんが、この方が何らかの理由で使い易かったからでしょう。しかしこの目立て職のところに一枚しかないと言うことは、この両刃鋸がまだ出始め当初なのか、あるいはまだ広く一般に普及されていなかったのかの、どちらかと思っていいでしょう。

 ともあれ、槌田満文氏の説に従い、この「鋸の目立」図が明治10年代に描かれたとすれば(丁髷や台切鋸があることからも、それは証明されると思いますが)、今までの現代両刃鋸出現時期を明治30年代から明治10年代に覆すものであり、頭部V型両刃鋸は頭部角型両刃鋸への過渡期の両刃鋸と言えることができ、新しい図像資料として貴重なものと言えましょう。



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