スズキ金物店メインイラスト

T O P 会社概要 商品紹介  焼 印合カギ D  I  Y 千代鶴系譜 道具の歴史リ ン ク





(一) 鋸目立て専門職の誕生について



 「江戸東京職業図典」の中にある「新撰百工図」に描かれた「鋸の目立」図によって、明治10年代に店を持った鋸目立て専門職が、すでに存在していたことが分かります。では、その誕生の時期は、いつ頃まで遡ることができるのでしょうか。

 鋸とヤスリと目立ては一体の関係です。日本の古代から鋸鍛冶が鍛造・焼き入れ技術を生かして自らヤスリも作り、目立てをして製品化していたと考えていいでしょう。鉄製の鋸は4世紀の古墳から出土しています。ヤスリは、5世紀頃の岡山県隋庵古墳や奈良時代の宮城県東山遺跡などからも出土しています。平安時代の「倭名類聚抄」(928年)には、ヤスリを「鑢子」・「夜須利」と漢字表記し、「鋸歯を利する所以也」と書かれています。

 このヤスリの製作については、いつ頃から専業鍛冶が誕生したのか、まだよく分かりませんが、苅山信行広島県立西部工業技術センター主任研究員によると、江戸時代の元禄年間、新潟の燕で和釘職人たちが鋸鍛冶からその技術を受け継ぎ、鋸目立て用の刃ヤスリを製作したのが始まりで、越後鑢として有名であったと指摘しています。(緑地帯3.10.3中国新聞より)

 鋸が出現した当初は、鋸を使う人達は鋸の刃が切れなくなると、鋸鍛冶のところで目立てをしてもらっていたと思われます。やがて時代が過ぎ、樵職・植木職・木挽職・大工職など鋸を使う職人の人達はヤスリを買い求めて、仕事の現場などで自分で目立てをするようになりました。

 江戸時代中期を過ぎた頃に、尾形恵斎によって描かれた「近世職人尽絵巻」があります。この絵巻は文化元年から3年(1804〜1806年)に渡って描かれたものですが、その中に大鋸で製材をする木挽職人に混じって、大鋸を目立てする木挽職人を描いた絵画があることから、それは立証されます。

 現代鋸は薄く、焼き入れがたいへん硬いので、目立てやアサリ出しは極めて難しく、専門の目立て職を必要とします。しかし、玉鋼で造った昔の鋸は焼き入れが甘いので、@歯が潰れるのが早い A木の節や釘に弱い B樫その他の堅木では磨滅が早い という欠点がある反面、@目立てが楽である A歯のアサリが素人でも加減できる B杉・桧の節のない所は切れ味が軽い という利点もあるので、鋸を使う職人の人達が自分でも比較的容易に目立てができたと思われます。

 では、目立て専門職の誕生はいつ頃なのでしょうか。それは、鋸の需要と使用が増大した結果、目立ての需要も増え、鋸鍛冶の中から目立てを専業とした人達が出てきて、鋸を使う作業現場に行ったり、店を構えたことなどからではないかと思います。

 「近世職人尽絵巻」の中に、もう一枚、江戸市中の書物店のそばの露店で目立てをする職人の絵画があります。この「近世職人尽絵巻」は東京国立博物館文化遺産オンラインで公開されていますので、インターネットでアクセスし、絵画を見るとよく分かります。(著作権の問題があるので、写真をこのページに載せることができないのが残念です。)

 背中をみせて目立てする老人と思われる職人は、拡大して手元をよく見ると明らかに目立てをしている様子が分かり、鋸目立て専門職です。隣に刀の柄の部分が見えますが、露店にどのような商品が並べられているのか分からないのが残念です。この絵巻以外に描かれた職人絵などもインターネットでいろいろ検索しましたが、この絵巻以外に目立てをする人は見つかりませんでした。

 したがって現在の結論として、鋸目立て専門職の誕生時期は少し幅を持たせて、「江戸時代中期頃で、繰り返し起きた大規模火災などで建て直しの木造建築が隆盛した、当時人口百万人都市の江戸」と言っていいかも知れません。




←前のページへ   このページのトップ   次のページへ→

トップイラスト

Copyright (C) 2006 Suzuki Kanamono. All Rights Reserved