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(一) 古墳時代の鑿について



 5世紀に築かれた金蔵山古墳(岡山県)や野中アリ山古墳(大阪府)から多くの鑿が出土しています。刃幅が6mmから25mmの平鑿や刃先が刀子状鑿や刃の先端が丸型で背の方に反った小型の鑿です。これらの鑿はかなり腐食した状態ですが、一部の鑿に裏スキがされているのが解ります。

 裏スキとは、鍛接した鑿の鋼の中央部分を窪ませ、刃先まで刃部全体を平ら研ぐことができ、そうすることによって良く切れる刃に研ぎ仕上げることができます。裏スキがあることは、鋼が鍛接されていたことを意味します。

これらの鑿は、鉄部を木柄に差し込んで使用されていた茎(なかご)式と言われる鑿です。茎(なかご)はコミとも言っています。この形態の鑿は、槌で叩いて使用するのは無理で、手で押して削る鑿です。これらは、形態から建築用の鑿ではなく、木工細工用の鑿ないし彫刻刀の部類に属すると言っていいでしょう。


 また、同じ5世紀の古墳である神宮寺山古墳(岡山県)から、全長90mm・頭幅14mm・刃幅20mm・袋部の長さ30mmの袋式鑿が出土しています。袋式鑿は古代中国で考案された鑿で、刃の上部を鉄の丸い袋状にして、そこに木柄を差し込んで使いました。この鑿は、槌で叩いて使われました。 

 さらに、5世紀の奈良県兵家6号墳や塚山古墳から、肩の張り出た刃幅の広い鑿が数本出土しています。これらは建築用に使われた鑿といわれ、茎式(なかごしき)鑿と袋式鑿です。しかも、これらの鑿も裏スキがあることから、鋼が鍛接されていたと解ります。

鋼は、弥生時代の中期前半にすでに作られていた痕跡があります。当時は、鍛冶職が自ら鉄鉱石や砂鉄を採集して、山の斜面などに掘った窪みを利用して木を燃やし、風を送り、低温還元による製鉄を行い、これを脱炭・浸炭・鍛錬して刃物や鉄器などを造っていました。


したがって、鋼の品質は当時の製鋼技術水準から察すると、まだかなり劣っていたと思われます。5世紀後半には、いままで各地で小規模に行われていた製鉄が本格化します。しかし、古代から中世にかけては、粘土などで作ったタタラと呼ぶ製鉄炉と風を送るフイゴ、そして燃料に木炭を使う露天式の野ダタラ法で製鉄していたので、まだ生産量の少ない小規模なもので、鉄は大変貴重なものでした。鉄を鍛錬して造られた鋼に至っては、さらに貴重なものでした。


 5世紀の古墳から出土した鑿類の例から察すると、まだ鑿の発達段階は初期ですが、叩き削り用の袋式鑿・押し削り用の茎式鑿・彫刻刀(刀子状鑿)・丸型鑿が鍛治職人によって鍛たれて、大型の木彫は無理ですが、すでに小規模な木彫が可能であったことが解ります。



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