「柏木久弘についての新見解」
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柏木久弘(梅吉)については、明治時代はじめに刃物鍛冶になった清弘に弟子入りしたとの説があります。わたしもこの説に従って来ましたが、この取材からは、安政の大地震以前から久弘は幾人もの職人を使って手広く鑿鍛冶をしていて、鑿鍛冶としてはかなりの成功者であったことがわかります。したがって清弘はもっとずっと早い時期に刃物鍛冶になっていて、久弘も伝えられているよりももっと早い時期に弟子入りしたのではないかと推察します。
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その後、日露戦争後の不景気で久弘は、借金した金物問屋の山炭商店に久弘刻印を返してもらうことができず、頭に左をつけて、左久弘として再活動することになります。 |
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